元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト 福田唯(ふくだ・ゆい)

「答え合わせは自分でする。」家庭崩壊、不登校、家出を経て、福田唯さんが見つけた夢

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3ピースロックバンド”kalablow”のベーシストとして活躍した福田唯さん。ストレートな歌詞や、繊細さと迫力を兼ねそなえたメロディ、感謝と愛を伝えつづけるマイクパフォーマンスで多くの人々を魅了した。惜しまれながらも解散してしまったが、ステージ上で輝きを放ちつづけ、多くの人に愛された彼女が、どのように音楽とかかわってきたのか。何を大切にして生きているのか、そのストーリーに迫った。

 

元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト

福田唯(ふくだ・ゆい)

【プロフィール】

1992年生まれ。東京都出身。中学3年次、家庭環境の悪化から2か月間家出し、同時に不登校になる。2010年、高校3年生ながら、ロックバンドkalablowにベーシストとして加入。代表曲に、”Strength”(日本最大級の学園祭である「早稲田祭」の2012年テーマソング)。テレビ出演をはじめ、赤坂BLITSや渋谷公会堂出演など、順調なステップを踏んでいるように思われたが、2015年に多くのファンに惜しまれながら解散した。現在はシステムエンジニアとして働いている。

 

 

家庭崩壊、中3で2か月家出、プロを目指す

 

—kalablowで活動することになった経緯について聞きたいのですが、まずベースを始めたきっかけについて教えてください。

 

 私が中学に上がった時に、ちょうどバンドブームだったんです。私もバンドをやることにしたんですけど、小学生の時、ピアノとギターに挑戦したけど続かなかった苦い経験があり、キーボードとギターは無理だと思っていました。あと、ドラムは私向きではないと思い、ベースかボーカルの二択になったんです。でも、その時に、「ボーカルやりたい」って言えなかったんですよね。一緒にやろうって言ってたメンバーの中に、歌の上手い子がいたので…。「じゃあベースしかないな~」って流れでベースを始めました。それでベースを買ってもらったんですけど、バンドを組もうって言ってた仲間が誰も何もやらなくて…。

私とベースだけが残りました(笑)。

 

元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト 福田唯(ふくだ・ゆい)

 

実は中学3年の時に家庭が崩壊していて、私は2か月間家出をしていたんです。その時に塾の先生に助けてもらったんですけど、その先生が元プロベーシストでした。しかも私にプロ級のベースと機材を譲ってくれて…。それがプロを目指したきっかけですね。

じつは友達付き合いも、当時、全然うまくいきませんでした。高校に上がってからも友達も全然できず、部活にも入らず過ごしていました。だけど、高校2年の時、別の学校のバンドから誘いがあったんです。その時の私以外のメンバーがすごくて、アメリカ育ちでバージニア州2位のキーボーディストや、ドラマーの菅沼孝三さんの弟子と一緒に音楽をやっていたんです。しかし、みんな進学校の生徒だったので、大学受験を機にバンドを解散してしまいました。

私は内部進学で受験もなかったので、みんなが音楽をやめて本気で受験に向かって努力しているときに、私も何か結果を出したいと思ったんです。

そして、ベーシストを募集している大人のバンドに、片っ端からオーディションを受けに行きました。そんなときに何バンド目かでkalablowに出会いました。

 

当時は高校生だからとか、女の子だからという理由でオーディションを受けさせてくれないこともあったんです。最近のように、YouTubeとか初音ミクみたいな、自分で音楽をネットにアップする文化もなくて、オーディション以外で自分をアピールする場所がありませんでした。女子高生をオーディションする時間は無駄、という空気もあって、女子高生という肩書きが本当にじゃまでしたね。

だけど、kalablowは真剣に向き合ってくれ、合わせてみたときにも「絶対ここだ!」という感覚があったんです。その後、別のバンドからオファーもあったんですけど、kalablowでやる意志を固めていました。

 

元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト 福田唯(ふくだ・ゆい)

 

2人からは、音楽以外にも大切なことをたくさん教えてもらいました

 

—kalablowの魅力について教えてください。

 

お客さんに見てほしいkalablowの魅力は、翔くん(ボーカル&ギター)のメロディーセンスだったり、3人で、3人以上の圧倒的なサウンドを生み出しているところです。

反対に、私自身が感じるkalablowの内面的な魅力は、お互いの信頼関係です。私たちは、これで絶対成功するって決めていたんです。だから、龍太郎くん(ドラム)はマネジメント、翔くんは作詞・作曲、私は広報活動というふうに役割を完全に分担していました。パン屋に例えるならば、店長が龍太郎くんで、ジャムおじさんが翔くんで、私がパンを売って、というふうに。そして、お互いをリスペクトしていました。

私が疲れて帰ってきて、そのまま寝ちゃう日にも、「龍太郎くんは今日もどこかに営業かけてくれたんだろうな。翔くんは新しい曲を考えてくれているんだろうな。」ということが当たり前に信じられたんです。それが本当にいちばん最後まで信頼関係を築けていた理由かなって思います。同じ方向に向かって進んでいることを無条件に信じられたし、聞く必要もありませんでした。

もし、私がこの先ほかの誰かと音楽をやることになっても、ここまでの関係は築くのは難しいと思っているからこそ、新しく音楽をやりたいと思えないのかもしれません。

だから、私にとってのkalablowの魅力は、取り組むことの形は違っても、同じ想いで同じ方向に進んでいるっていう暗黙の信頼ですね。

あと、本当にメンバーの人柄がよかったんです。龍太郎くんはあいさつや礼儀には本当に厳しくて、私がストレスが溜まってたり、いやなことがあって態度に出てしまっていたりしたら、注意してくれるんです。だけどその時も、「ゆい、今日ありがとうってちゃんと言えてなかったけど、なんか辛いことでもあったん?ゆいは本当にええ子なんやから、一人で抱え込んだらあかんで」というふうに話も聞いてくれたり、バンドというより本当の家族のようでしたね。2人からは、音楽以外にも大切なことをたくさん教えてもらいました。

 

元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト 福田唯(ふくだ・ゆい)

 

—kalablowの解散から約1年が経ちますが、kalablowでの活動を通して得たものはなんですか。

 

kalablowではある程度結果も出たし、自信にもなったし、得たものはたくさんあるんですけど、私の中では解散と同時にこれが0に戻っちゃった気がしていて…。そんなことないとは思うんですけど、コミュニケーション能力を得たとか、良い思い出ができたとか、そんな簡単にまとめられるものじゃないんです。

今でも、「これで何かを得られました」っていうポジティブな解散ではないと思っています。だから、何を得たかという回答はできないかもしれません。ただ、自分がやってきたことって何の意味もなかったのかな、何も残らなかったのかなって思うこともあるんですけど、やっていたからこそ話せることもあると思うんです。すごい結果を出したよ、とか、バンドを通してこれを得たよってポジティブなことは言えないですけど、この経験はやってみないと手に入らなかったものだし、私たちが求めたものに近づくこともできなかったんだと思います。

 

元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト 福田唯(ふくだ・ゆい)

 

—この先目指すものや生涯を通してえがく夢があれば教えてください。

 

今まさにそれが見つかっていなくて…。私にとって、kalablowでの成功に代わる夢はないと思っています。「もうkalablowはいいかな~」って解散したわけじゃなくて、自分たちではどうにもならないことによって解散してしまったので…。

絶対kalablowで成功するつもりだったし、大学卒業後も就職という選択肢は私の中にはなくて、音楽に専念するつもりだったんです。それが急にできなくなって、これから音楽以外の何かでお金を稼いでください、って言われても、「じゃあ次はこれやりたいからこれやろう」ってものはなかったんです。私が、「音楽で成功するんだ」ってがんばっているときに、他の大学生は就活をしていて、みんなが就活を終えたタイミングで私は就活を始めることになって、自信もなくしていました。だけど、これまでの努力やがんばってきたことを仕事に活かそうとおもったときに、ベンチャーには通じるものがあるのかな、と思って今の会社に就職を決めました。

今は具体的な夢はないけど、いつかはまた音楽にかかわりたいという気持ちは持っています。そのうちまた自分がやりたいことが見つかった時、それがどんなものであれ、そこに向かってすぐに走り出せるような準備はしておこうと考えています。

 

自分で自分なりの答えを確かめに行けばいい

 

—今後はどのように音楽に関わっていきたいですか?

 

kalablowを解散した時もそうなんですけど、活動しているときから、「私はkalablow以外ではベースを弾かない」って決めていたんです。それは他の2人もそうだと思うんですけど、この3人でしかステージには立ちませんって気持ちは今でもずっと持っています。今はお互い全然ちがう生活をしているし、また3人で音楽をやるのはむずかしいとは思うんですけど、ファンの人から、「またステージに上がってくれ」「また音楽をやってくれ」ってメッセージをたくさんもらっているんです。だから、もう一回やり始められたらいいなって気持ちはずっと持っているし、私はまた音楽をやりたいですよ、やめてないですよ、kalablowで活動してた時の気持ちは忘れていないですよ、ってことを少しでも発信することが、ファンの人によろこんでもらえることは私自身もうれしいです。現状、ステージに立ってくれってオファーはお断りしてるんですけど、いつかまた2人がやろうって言ってくれたならやりたいと思っています。

塾の先生からもらったベースを部屋に立てかけている自分の現状と、ファンの人たちの戻ってきてほしいって声を合わせたときに、なんとなくまた自分はそっちに戻るんじゃないかなって気がしているんです。ここまで本気で音楽をやってきて、もう解散したから終わり。ではなくて、いつかまた自分は音楽と向き合うことになるんじゃないかなって思ってます。

解散した時は、音楽を仕事にしたいって気持ちもなかったし、趣味で続けようなんてことも全く思わなかったんですけど、最近また少しずつ楽器に触れて、音楽って楽しいなって思えるようになってきました。

 

元kalablow(カーラブロウ)、ベーシスト 福田唯(ふくだ・ゆい)

 

—答えのない自問自答から、自分なりの答えを発信し続ける唯さんに魅力を感じています。人生で大事にしていることがあれば教えてください。

 

私は、等身大で話すということを大事にしています。大人って、一人暮らしはお金がかかるとか、音楽では飯は食えないとか、物事の定義が多いじゃないですか。例えば、「一人暮らしするんだよね?」って大人に聞かれたときに、大人は一人暮らしはお金がかかるってことをすでに知った上で聞いていると思うんです。もちろん一人暮らしはお金がかかるし、それが答えではあるんですけど、その答え合わせをされる感覚がものすごく嫌いなんです。

だから、大人としゃべるときは、私もその答えを知ってます。という風に背伸びをして話していました。でも、それって見抜かれるし、背伸びするのはやめて、自分で自分なりの答えを確かめに行けばいいと思うようになりました。

 

—最後に若者にメッセージをお願いします。

 

答え合わせは自分でしに行け、と言いたいですね。私も、就職したほうがいいってことは先生に言われたし、友達にも、周りの人たちにも言われました。今は検索すれば情報は何でも手に入るし、こうすればこうなる、みたいな答え合わせは簡単にできちゃうんですよね。だからと言って、その答えは本来他人からもらうものではないと思うし、自分自身が就職したほうがいいかって考えた時に、kalablowで成功したいって気持ちは譲れなかったんです。実際に私の場合、音楽で飯は食えなかったし、就職に行き着きました。だけど、それって「やっぱり音楽で飯は食えないんだな」って一言で済む話ではないんですよね。誰もが最終的には就職に行き着くわけでもないし、それが答えではないと思っています。だから、自分の答えを自分自身で見つけようとすることが大切だと思います。

ワンマンライブを達成したときや、ステージからお客さんの笑顔を見た時のうれしい気持ち、ライブ後に花束をもらった時の喜びは、自分で答えを確かめに行かなければわからなかったと思います。これが正解かどうかはわからないけれど、これが私の見つけた答えです。

 

—kalablowの仲間とともに夢に向かっていった唯さん。解散から約1年が経つ今でも、ステージに立っていた時と変わらない輝きがありました。「答え合わせは自分でする」ということを大事にしてきたからこそ、他の人にはない魅力を感じるのでしょうか。私自身も、自分の想いに素直に人生を歩んでいこうと勇気をもらいました。ありがとうございました。

 

 

 

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