早朝5時までYoutube。ドン底だったあの日から、はい上がったJMF荒木翔揮さんの人生ストーリー

早朝5時までYoutube。ドン底だったあの日から、はい上がったJMF荒木翔揮さんの人生ストーリー

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モチベーショナル・メソッド 代表
一般社団法人Japan Motivation Forum 代表理事
荒木 翔揮(あらき・しょうき)
 
【プロフィール】
 
アメリカのマサチューセッツ州で幼少期を過ごす。高校在学時、同級生を集め英語の授業をする。友人の偏差値を20上げた経験から、大学2年時に栄光ゼミナールにて塾講師の仕事を始める。塾講師歴若干2年目にして、栄光ゼミナール青葉台校にて英語トップレッスンを担当し歴代トップの実績を出す。翌年からは、指導力の高さを評価され、新人講師の研修を担当する。現在は、「東大合格シェアハウス」の創設メンバーとして、英語講師も務める。また、起業家を養成するスクール事業の立ち上げに携わり、2012年11月にモチベーショナル・メソッドを創業。スクールの企画・運営・集客を3年半一人で担当し、140名以上の卒業生を輩出した。「志が志を生む教育を」を理念に、2014年10月にJMFを設立し、北海道から鹿児島まで全国11支部に展開。各業界を牽引する若きリーダーと協力して、志高き若者の総合プラットフォームの創出を目指している。

 

 

いつも舞台上で熱く私たちに語りかけて下さる荒木さん。初めてお会いした時も、教育に対してとても熱く語って下さった。そんな熱い荒木さんだが、大学時代は全てが中途半端になり、社会人1年目も「朝5時までYoutube・13時に起床」というような生活を送っていたそうだ。ドン底だったあの日から、荒木さんはどのようにはい上がってきたのか。

 

 

アメリカからスタートした人生

――幼少期はアメリカで過ごしていたのですね?

 

はい、私はアメリカ・マサチューセッツ州で生まれました。7歳までアメリカで過ごし、その後日本で暮らし始めました。日本に帰ってきてからは、サッカーや野球などのスポーツに熱中し、その後中高一貫校に入学。中学進学後は、テニス部に所属しました。高校に入ると徐々に実力も付いてきて、念願だったレギュラーになることができました。しかし、テストの点が少しずつ下がってきたために、両親に何度もテニス部を辞めるように言われ、嫌になり遺書を書いたことがあります。成績が下がったと言っても、私は学校内の中では常に上位クラスにいました。それなのに、なぜこれ以上勉強をやれと言われるのか理解できませんでした。しかし、親を納得させることができなければテニスを続けられないと思い、予備校に通い始めました。特に英語が下がっていたので、英語を徹底的に学びました。素晴らしい予備校の先生に教えて頂いた甲斐もあり、3ヶ月で英語の偏差値を20以上上げることに成功しました。

 

――3ヶ月で偏差値を20以上上げる、まるでビリギャルのようですね。

 

この経験から、私の周りの仲間がざわつき始めたのです。「あの荒木が英語の偏差値を20以上あげた!?」というように。その噂がどんどん広がり、まずテニス部の仲間から英語を中心とした勉強を教えて欲しいと言われ始めました。

 

――みんな「なぜ」って気になりますよね。それが高校時代の「荒木特講」と呼ばれる特別授業になったのですか?

 

はい、その小さな勉強会が徐々に大きくなり、「荒木特講」と呼ばれる特別講義に発展しました。

高校2年生からセンター試験前まで、毎週のように朝7時から、朝のホームルームが始まるまで実施していました。1回で50人集まった日もありました。大変でしたが、周りから頼られることは嬉しかったです。さらに、私の講義を受けていた子が東大に合格したのです。教えていた私は落ちてしまいましたが・・・(笑)のちに、この高校の時の経験がJapan Motivation Forum設立の1つの理由になります。私は、現役で早稲田大学応用物理学科に進学しましたが、結局合計3回東大を受験することになりました。

 

 

名門早稲田へ、しかし・・・

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――早稲田に合格されたのに、その後東大を2回も受験されたのですか?

 

理由は3つあります。1つ目は、そもそも理系に興味がなかったということです。私はどちらかというと文系の仕事の方が興味がありました。そこで、高校の進路相談の時間に、その旨を先生に伝えたところ、「こんな国語の点数で文系に行けるわけない。それだったら得意な理系で東大目指せ」と言われました。「東大行けるなら、理系でもいっか」このように考え、理系に進みます。

明確にやりたいことや夢などもなかったので、偏差値で行ける大学、5科目の得意不得意で進路を決めていました。そのため大学進学後周りの友達とあまり話が合いませんでした。ある授業で、「人か物か、君はどっちが大事だ?」みたいな質問があった時に、私と仲の良かった2人の友達は迷わず「人」と選んだのですが、周りはみんなは「物」。リモコンを分解したかどうかで話が盛り上がっていて・・・。私もロジカルに物事を考える頭なので、リモコンを分解したい気持ちもわからなくはありませんが、当時正直価値観が相容れないなと思いました。今はこのように全く思っていませんよ。

 

――リモコンの分解、面白そうですが・・・。2つ目の理由は何ですか?

 

2つ目の理由は、早稲田はすごくレベルが低いなと感じていました。今大人になって様々な角度から物事を考えられるようになると、早稲田もすごい大学だとわかりますが、当時は特に、内部進学や推薦入試組がすごくレベルが低いと感じてしまいました。最後、3つ目の理由は当時付き合っていた彼女が東大にいたからです(笑)以上、3点の理由があったために、早稲田に進学しましたが、仮面浪人を2回やりました。しかし早稲田に入学後勉強は全くやらずに、体育会系の軟式テニス部、塾でのバイト、そして高校のテニス部のコーチの3軸で生きていました。結局1年の12月から受験勉強を開始し、東大にはあと0.8点足りず不合格。この時、0.8点という変に希望をもたせてくれる数字だったために、もう一度翌年東大を受験することになりました。

 

 

全てが中途半端な大学2・3年生

――そうだったのですね。大学2年生は結構受験勉強されたのですか?

 

いいえ、全く。だから落ちたのです(笑)大学2年次は、バイトの塾講師以外は全てが中途半端になってしまった時期でした。高校のテニス部のコーチ、東大受験、早稲田での授業、部活動、全てが中途半端。しかし、その中でも塾講師は一生懸命頑張っていたと思います。

 

――東大を諦めた後の大学3年次はどうだったのですか?

 

大学3年も腐っていた年でした。どのくらい腐っていたかというと、”毎朝”13時に起きて、学校へ行くのですが、授業には出ずに後輩を連れて部室へ。スマブラをやり、バイトの時間になったらバイトに行く。このような生活を送っていました。

生活は腐っていましたが、アルバイトは引き続き頑張っていました。塾は、週4~5回は入っていたと思います。実績もあり、トップレッスンを任せてもらっていました。しかし、問題を起こすことも度々。普段塾のルールで、大学生であることを親御さんに言ってはいけないのですが、普通に話してしまい問題になったり、黒髪がルールであるのに、茶髪で注意されても直さなかったり、常にネックレス、カラーシャツ、おしゃれベルト、など基本的にルールを無視していました(笑)それが問題になり、一度緊急保護者会が開かれました。「問題の荒木先生より謝罪があります・・・」となったのですが、その場で私の教育方針を熱弁したら、「荒木先生素晴らしい、人は見かけによらないですね」など絶賛の嵐(笑)「なんだよ」と思いましたが、そのおかげで通常大学生では任してもらえないトップレッスンを任せてもらい、歴代トップの成績を収めました。

 

――この頃から教育に対しては熱い思いを持っていたのですね。

 

確かにバイトは一生懸命でしたが、他が本当に腐っていました。そして、ある日高校の時の恩師の先生からお叱りがありました。本当に適当な生活をしていたので、高校のテニス部のコーチをサボってしまっていた時があったのです。しかしその恩師にはお見通し。お叱りを受け、最後にある言葉を下さりました。「人と人とのつながりを大切にしなさい」でした。その時「ハッ」とさせられました。今まで中途半端に生きていて、それは友達付き合いも一緒でした。今まで親友と思っていた人とも、3年近く会っていない。コミュニケーションスキルは高いので、人と話すことはできるのですが、それが一生付き合う仲になるかといえば、違う。この時、「俺が仮に死んだら、俺のお葬式来てくれる友達いないんじゃないか」と思いました。強い危機感を覚えたのを今でも覚えています。

 

――その恩師の先生の言葉が大きかったのですね。その後何かアクションを起こしたのですか?

 

友達を呼び集め、一度飲み会を企画しました。久しぶりに会う場を作ったのです。その時、周りの友達が話していた内容は、「就活」でした。実は、私は仮面浪人を2年していたので、留年が確定していました。そのため周りが就活の話をし、将来のことを考えている中で、私自身は全く考えていなかったのです。そして、高校時代「文系のエース」と呼ばれていた友達にあった時に、一番衝撃を受けました。彼は、総理大臣になって、北朝鮮との国交を直したいと本気で考えていました。そのため大学時代から、いろいろな経営者に会ったり、政府の方に会ったり、どんどん世界を広げ、自分のビジョンを達成するために本気で行動していました。「俺このままならヤバイ」と心の中で強く思うようになりました。そして、彼の話を聞いた後に、「荒木、お前はどうなの?」って聞かれたのです。正直、将来のことなんて全く考えていませんでしたが、「こいつには絶対負けたくない」そんな想いで、つい無意識に「日本の教育を良くしたい」って言っちゃったんです。全く将来のことなんて考えていませんでしたが、疑問を持っていたのか、溢れるように日本の教育を良くするアイデアを話すことができたのです。

 

 

動き出した、と思ったら朝5時までYoutube生活?

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――その後どうされたのですか?

 

「日本の教育を良くしたい」と言ったはいいものの、その当時は口だけでした。文系のエースのように行動していませんでした。そこでまず、自己分析をしてみました。ひたすらノートに自分のことを書き出してみたのです。そうすると、1つの答えが出てきました。それは、「人×教育」でした。これが私を表す言葉、やりたいことだったのです。次に「どのように教育に接していくのか?」と考え始めました。先生なのか、このまま塾講師になるのか、教育系の企業で働くのか・・・。しかし、それぞれの働き方を考えれば考えるほど、もっとでかいことをやりたいなと思うようになりました。そして、ある時「起業」というワードと出会ったのです。「起業×教育」、これでやっていこうと、一歩を踏み出し始めました。ちょうど東日本大震災が起こる直前の頃でした。

 

――自己分析って大切ですね。「起業」というワードに出会ってから、具体的にどのように一歩を踏み出し始めたのですか?

 

まず、「起業をするために必要な事」とGoogle先生に尋ねてみました。そこで出てきた事をとりあえず勉強してみましたが、1週間で飽きてしまいました。どこかリアルじゃないなと感じてしまったので。この時まで本は大嫌いだったのですが、経営者や経営スキルの本を買って読んでみることにしたのです。すると、「本当に面白い、リアルだ」、とても興奮しました。勉強をしている中で、実際の経営者の方に会ってみたいと考え、アルバイトの塾の室長に知っている経営者がいないかどうか聞いてみました。するとある1人の経営者を紹介して頂き、会ってみたのです。すると可愛がられて、どんどん他の経営者、またその経営者たちが違う経営者を、というようにネットワークが広がっていきました。3ヶ月で約200人の経営者とお会いしたと思います。

 

――3ヶ月で200人、すごい数ですね。経営者の方と会うときに何か意識していたことはあったのですか?

 

経営者の方々から言われたアドバイスは全部実行しようと常に心掛けていました。例えば、「ガラケーじゃなくてスマホがいいよ」、「Facebook始めなよ」、「ブログ毎日書いた方がいいよ」などなど。その後ある起業家さんに弟子入りする形で、起業家のためのスクール事業の立ち上げのお手伝いをさせて頂きました。そして、2012年11月に個人事業としてモチベーショナル・メソッドを創業。また、若者の選択肢を増やしたいと考え、2014年10月にJapan Motivation Forumを立ち上げました。

 

――13時起きだった荒木さんが一気に活動家になられたのですね!荒木さんと言えば、Japan Motivation Forumだと思うのですが、立ち上げたきっかけは何だったのですか?

 

これも情けないお話なのですが、彼女との別れ話です。これが直接的なきっかけです。実は、2013年の終わりぐらいからJapan Motivation Forumを立ち上げた2014年10月頃まで様々な問題が重なり、再び腐っていました。付き合った当初は私もイケイケだったのですが、徐々に落ちていってしまい・・・。今だから言えますけど、落ちてしまった時のモチベーションは彼女とのデートしかありませんでした。個人事業の名前がモチベーショナル・メソッドなのに(笑)朝5時までYoutubeを見まくる生活をしていたのもこの頃です。5時までYoutubeを見ているので、起きるのは15時頃。「もう今日終わったわー」みたいに感じたことが何度あったことか・・・。仕事のアポイントメントは、適当な理由をつけて断ってしまっていました。社会人1年目がこれですよ、クソですよね(笑)そんな時、彼女が「私と付き合っているのが落ちてしまった原因なのでは?」と考えてしまい、別れ話が出てきたのです。

この時に、また「ハッ」とさせられました。このままではダメだと。様々なしがらみをとって今自分に課せられ、自分にできることは何なのか、それをもう一度考え抜きました。すると今までやってきたスクールなどのイベント事業、そしてイベントで出会った様々なジャンルの人との繋がり、この2つは自分の財産になっていると気付いたのです。これがきっかけで、Japan Motivation Forum設立に繋がりました。そして実は、このきっかけとなる彼女が、今の私の嫁です(笑)

 

 

一生懸命生きろ!

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――最後に学生の皆さんに一言お願い致します。

 

一言にまとめれば、「一生懸命生きろ」ということです。別に活動的じゃなくても、悩んで寝込んでいても、しっかり自分と向き合い一生懸命生きてみて下さい。悩んでいる時期や腐っている時期、失敗が多い人の方が何かをやり始める時に発揮されるパワーだったり、エネルギーはとてつもなく大きいと思っています。そして、苦しいときにはSOSを出しましょう。必ず誰かが助けてくれます。人間って何事も1人ではできません。私も今Japan Motivation Forumでイベント活動をしていますが、活動を支えてくれる多くのスタッフと各分野の若手のリーダーがいるからこそ成り立っているイベントです。私1人ではできません。学生時代というのは、将来のことで多く悩みがある時期です。自分としっかり向き合い、今を一生懸命生きて下さい。また、一歩を踏み出したいと考えている方、8月にJMF All Stars Fesという1,000人規模のイベントを行います。是非こちらにいらっしゃってみて下さい。何かヒントを得られるかもしれません。
 
 
【8月開催!1000人イベント】JMF All Stars Fes
 
 
今を一生懸命生きろ、荒木さんの最後の一言にものすごいパワーを感じた。8月のイベント、是非参加したい。お時間ある方も是非!
 

 

 

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