diBec多田克士さんの受験失敗・高卒就職から留学、そして起業するまでの人生ストーリー

diBec多田克士さんの受験失敗・高卒就職から留学、そして起業するまでの人生ストーリー

Share on Facebook17Share on Google+0Tweet about this on Twitter

株式会社diBec代表取締役

一般社団法人JAC日本国際交流協会理事長

多田克士 (ただ・かつし)

 

【プロフィール】

 

高校時代は、名門星稜高校サッカー部で3年間過ごす。その後大学受験を失敗し、ホテルマンへ。6年勤めた後に、アメリカ留学を決意。アメリカで大学院まで学び、その後NYで通訳として活躍。帰国後、就職した後に2006年1月、留学支援会社diBec海外大学日本事務局を立ち上げる。2012年1月、一般社団法人JAC日本国際交流協会を設立し、現在起業11年目。東京、大阪、仙台、福岡の4拠点で全国の高校生・大学生・社会人の留学を支援中。

 
初めてお会いしたのは、レンタルシェアオフィスのクリスマスパーティー。その後留学する際にもお世話になった多田さん。高校卒業後に一度就職してから、留学、アメリカの大学院を卒業され、現在留学支援の会社を経営なさっている。そんな多田さんの人生ストーリー、ターニングポイントに迫りたい。
 

受験に失敗、高卒で就職を決意

 

――今日は宜しくお願い致します。現在、学生の留学支援をされていますが、昔から英語は好きだったのでしょうか?

 

いえ、決してそんなことはありませんでした。高校時代は石川県の星稜高校に進学し、サッカー部に入部しました。そのため、基本的には勉強はしていませんでした。当時、全くと言っていいほど将来や大学に関して考えていませんでした。

 

 

 

――アメリカの大学を卒業されていますが、高校卒業後、まず日本の大学に進学されたのですか?

 

いいえ、日本の大学には進学していません。大学受験に失敗しました。勉強が嫌いだったため、浪人はしたくないと考え、2年ぐらいフリーターでもしながら自分のやりたいことを見つけようと当時は思っていましたが、さすがにそれは出来ず、高卒で地元のホテルに就職しました。

 

 

 

――そうなのですね。大学進学を考え、受験までして、落ちたから就職というと、一般的ではないため反対されそうな気がしますが、親御さんは賛成してくれたのですか?

 

そうですね。基本的に、「好きにすれば」というスタンスだったので。しかし、高3の時の担任には心配されました。卒業式2週間前にして進路が決まっていなかったのが自分だけだったので。そこで、担任の先生に求人を3つ紹介してもらいました。その1つがホテルだったわけです。親父にも相談したところ、「ホテルは潰れることがないから、いいんじゃないか」と言われホテルに就職することに決めました。

 

 

上司の英語、留学への憧れ

 

――ホテル時代はどうでしたか?

 

とても充実していました。まずは3年、バーテンダーをやりました。3年後、転属になりフランス料理のレストランへ。ホテルには6年ほど勤めました。そして、その後アメリカへ留学します。

 

 

 

――なぜ、アメリカへ行こうと決意されたのですか?

 

ホテルの仕事はとても楽しかったです。接客もすごく楽しかった。しかし、給料がとても安かったし、一生する仕事ではないなと働き始めて3年後ぐらいから思い始めました。そこでどうしようと考え始めたわけです。

そして、フランス料理のレストランに転属になった時、そこの上司が英語で海外からのお客さまに接客していました。これが多少なりとも影響しましたね。私も英語話せるようになりたいなと。当時の私からしたら、その上司はペラペラ。その上司の方と話をしていたら、「お前もアメリカに行けるんだったら、一生に一回は行った方がいいよ」とアドバイスをくださって。この頃から「行けたらいいな」と思い始めました。そして、少しずつお金を貯め始めました。

 

 

 

――その後ホテルを辞め、アメリカの大学に入学されたのですか?

 

実は、ホテルを辞めた後に、留学のお金を稼ぐために派遣のアルバイトに登録して再びホテルでバイトをし始めました。ホテルって派遣バイトとして働く方が正社員と比べて給料がいいのです。私は、滋賀のホテルの住み込みバイトを始めました。朝6時から朝1時まで、馬車馬のように働きましたね。今これだけバイトをすると色々ブラックバイトとして問題になるでしょうが(笑)月40万ぐらいは稼いでいたと思います。さらに住み込みでバイトをしているため家賃や食費がかからないのです。お金を貯めるには非常に良いバイトでした。

 

 

憧れのアメリカ、しかし日本人ばかり?

 

――確かに、お金を貯めるには良いバイトですね!アメリカの大学へのアプローチはどのようにされていたのですか?

 

留学雑誌にあったある大阪のエージェントにお願いをしました。英語が全くできなかったので、ネブラスカの語学学校へ行くことになりました。

 

 

 

――なぜネブラスカだったのですか?

 

そのエージェントに、3つの条件を出しました。(1)費用が安い、(2)日本人がいない、(3)英語が訛っていない地域です。そうしたらネブラスカでした。

しかし、実際語学学校に行ってみると10人中9人が日本人でした。エージェントに騙された、と思いました。ネブラスカに行ったら日本人なんて1人もいないと思い描いていた留学とは全く違う形で留学が始まりました。ルームメイトもシリア人で、アメリカにいるのにアメリカ人となかなか交流ができない、そのような環境でした。
これではダメだと思い、2ヶ月でコロラドの学校へ移りました。

 

 

 

――そうだったのですね。なぜコロラドだったのですか?

 

ネブラスカに向かうために、成田から経由地のサンフランシスコ行きの飛行機に乗っていた時にある女性に出会いました。たまたま隣に座った女性が大学時代にコロラドに留学していた子で、出身も同じ金沢。話をしていたら仲良くなり連絡先を交換しました。2ヶ月経って、ネブラスカから他の学校に移りたいと思った時に、彼女に連絡をし、彼女が通っていたコロラドの学校のある日本人の先生を紹介して頂きました。当時英語が全く話せなかったので、その日本人の先生にお願いをし、コロラドの学校に移ることができました。

 

 

 

――人との出会いって大切ですね。

 

そうですね。彼女に出会っていなかったら当分ネブラスカから抜け出せなかったと思います。

 

 

 

――コロラドに移ってからはどうでしたか?

 

3ヶ月ほど大学付属の語学学校に行き、その後2年制のコミュニティーカレッジに進みました。秋学期から授業を取り始めましたが、全然わかりませんでした。この時がアメリカ留学の中で一番しんどかったですね。コンピューターの授業では、プレゼンをやらなければならなくて。しかも専門用語だらけ。本当に大変でした。

 

 

 

――コミュニティーカレッジを卒業後に、4年制の大学に進学されたそうですね?

 

はい。20〜30校ぐらい出願して、ほぼ全部通りました。勉強は頑張っていたので、成績もオールAで。そして、最終的にノーザン・アリゾナ大学に進学しました。実はこのノーザン・アリゾナ大学での生活が今の生き方の土台になったと思っています。

 

diBec多田克士さんの受験失敗・高卒就職から留学、そして起業するまでの人生ストーリー

 

計画する力、実行する力

 

――それは何ですか?

 

目標を立て、アクションプランを考え、実行する力です。夏から授業を取り始めたのですが、授業予定を見ながら、「頑張れば1年で卒業できるかもしれない」ということに気がつきました。本来は、コミュニティーカレッジから編入すれば、卒業するまでに2年かかります。そこで、どうやったら1年で卒業できるのか考え、計画を立て、実行しました。

例えば、夏に経済の基礎の授業を終わらせておかないと、秋で次の経済の授業が取れません。しかし、夏の経済の授業の終わり30分と夏に絶対に取らなければならない微分・積分の授業の始まり30分が重なっていました。しかも、その年大学で微分・積分の授業が開講されていなかったために、近くのコミュニティーカレッジに行き、授業を受講しなければならなかったのです。先生に交渉をし、最終的には両方受講することができました。

このような具合に、「1年で卒業するんだ」という目標のためにプランを考え懸命になって取り組んだことが、アメリカ生活で一番身になったことですね。

 

 

 

――大学を卒業された後はどうなさったのですか?

 

アメリカの大学院に進学しました。英語が中途半端だったためです。もっと英語を勉強したい、話せるようになりたい。この頃、通訳になりたいと考えるようになりました。大学院卒業後、その後通訳としてNYで働くことになりました。

 

 

 

――通訳としての初めてのお仕事はどうでしたか?

 

ニッセンがアメリカの会社とシステム開発のプロジェクトを一緒にやるという仕事の通訳でした。仕事は大変でしたがとても楽しかったです。給料も結構良かったです。しかし、約1年半で辞めました。最終的に通訳の責任者までやっていましたが、結局通訳って人が話したことしか言えないんですね。これも自分にとって一生する仕事じゃないなと感じました。

 

一生やりたい仕事に出会う

 

――その後日本に帰ってきたのですか?

 

通訳をやめようと考えた時に2つやりたいことがありました。1つ目は、映画の字幕翻訳。2つ目は、留学支援の仕事。結局留学支援をしようと決め、日本に帰国しました。実は、日本に帰国する前に大学時代に習っていたスペイン語をもっと上達させたいと思い、スペインの語学学校に半年ほど通っていました。

 

 

 

ーー帰国されて、すぐ起業されたのですか?

 

いいえ、帰国して3日目から就職活動を始めました。そして、新宿のある留学支援の会社に就職しました。その会社にはトータル4年半ぐらい勤めて、独立しました。

 

 

 

――独立されるきっかけは何だったのですか?

 

理由は2つです。1つ目は、自分の力を試してみたかったから。2つ目は、居心地がとても悪かったからです。実は、1年半新宿の留学支援の会社に勤めた後、一旦辞めて別の会社に入りました。その後、新宿の留学支援の社長さんにどうしても戻ってきて欲しいと言われ、戻ってその後3年勤めました。戻った時にNo.2として迎えてもらったのですが、社内環境は決して良くなく、しんどかったですね。以上の2点の理由で、独立しようと考え今に至ります。現在12期目に入ります。

 

diBec多田克士さんの受験失敗・高卒就職から留学、そして起業するまでの人生ストーリー

留学をするメリットとは?

 

――最後に、多田さんが考える学生が留学をするメリットって何ですか?

 

メリットは大きく分けて2つですね。

1つ目は、英語力。英語ができると絶対に世界が広がります。よく、英語ができるだけじゃダメだという人もいますが、英語がきちっとできるだけでも絶対に武器になります。語学力は絶対に早いうちから身につけるべきですね。英語ができることで、入れる会社の枠も広がりますし、英語ができることで任される仕事も増えると思いますよ。

さらに、日本はどんどん人口が減っています。今後移民がどんどん入ってくると思います。東南アジアもEUのようになるかもしれません。その方たちとどうやってコミュニケーションを取るのか、やはり英語ですよね。

英語の需要はどんどん増えています。

 

 

 

ーー2つ目は何ですか?

2つ目は、見聞・視野がすごく広がります。

うちの会社では、語学留学やワーホリは絶対にやらせません。学生が海外に行くなら、絶対にちゃんとした学校に行った方がいいです。向こうの学生と同じ授業を取る学部留学が絶対にいいです。学べるもの、深さ、求められる英語力、全てが語学学校やワーホリは中途半端なんです。大学に留学した方が、はるかに成長できるし、見聞・視野が広がると思っています。

私は、語学留学やワーホリは廃止にした方がいいと考えているぐらいです。

長く行けるのであれば長く留学した方がもちろん良いと思いますが、短期でも行けるのであれば行った方がいいですね。そして、現地の学生と同じ授業を取ってみてください。

留学を考えている方は、diBec

 

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でPotSpotをフォローしよう!

Share on Facebook17Share on Google+0Tweet about this on Twitter

人気ランキング